PROJECT STORY
CHALLENGE
日本を明るく、元気にする
TOKYO TORCH
東京駅前から、
日本に希望を灯すまちづくり
PROJECT STORY
CHALLENGE
日本を明るく、元気にする
東京駅前から、
日本に希望を灯すまちづくり
谷沢 直紀
TOKYO TORCH事業部 事業推進ユニット
ユニットリーダー 兼 開発ユニット 統括
経済学部 経済学科 卒
2001年4月入社
和田 泰秀
TOKYO TORCH事業部
開発企画ユニット
法学部 法律学科 卒
2016年4月入社
牛尾 莉緒
TOKYO TORCH事業部
事業推進ユニット 兼 エリアマネジメント企画部
経済学部 経済学科 卒
2017年4月入社
※所属、掲載内容は取材当時のものです
谷沢
2021年6月30日、『TOKYO TORCH』の第一弾プロジェクトとなる『常盤橋タワー』がついに竣工しました。常盤橋タワーの業務全般をメインで担当していた牛尾さんは感慨深い感じでしたね。
牛尾
竣工したあの日、建設会社との手続きなどの業務が終わった後、プロジェクトのメンバー全員が参加してリモートのミーティングを行いましたね。建物の竣工を見届けたときは張りつめていたからか、不思議と涙が出なかったのですが、パソコンの画面にメンバーたちの顔が映し出される度に色々な想いがこみ上げてきてしまって……。涙が自然と出てきました(笑)。
谷沢
(笑)。それは少なからずみんな同じ気持ちだったと思いますよ。
和田
竣工日の前に、それまでプロジェクトに関わってきた歴代のメンバーを招待して社内向けの内覧会を実施しましたね。あの時のシーンも感慨深いものがありました。
谷沢
『TOKYO TORCH』に関わってきた社員やOBが数十人集まって記念写真を撮りましたよね。『常盤橋タワー』の2階には関わったメンバー全員の名を記したプレートがあり、それを披露したりもしました。でも、みんな、建物そっちのけでプロジェクトの思い出話に夢中になってしまって。誰もがそれだけ思い入れの深い仕事だったのだなと印象的でしたね。
和田
谷沢さん、三菱地所のなかで『TOKYO TORCH』のプロジェクトが動き出したのはいつ頃なのでしょうか?
谷沢
本格的に始動したのは2007年頃。私がプロジェクトに加わったのは2012年ですね。
牛尾
私が入社したのは2017年で、最初に配属された部署がこのプロジェクトでした。翌2018年に『常盤橋タワー』が着工しています。
「日本を明るく、元気にする」というプロジェクトのコミュニケーションワードが決まったのもこの頃ですよね?
谷沢
そう。この言葉には色々おもしろいエピソードがあってね(笑)。最初は「イノベーション」とかありがちなワードが飛び交っていたのですけど、それではダメだと当時の部長がカタカナ禁止令を出した。それで色々議論を重ねるうちに、自然にまとまってきたのがこの言葉でした。
和田
プロジェクト名の『TOKYO TORCH』も、「日本を明るく」というこのワードに由来していますし、『Torch Tower』のネーミングも同様の願いが込められていますね。
牛尾
このようなネーミングは、一般公募や広告会社などを介して決定することがよくありますが、今回はすべてプロジェクトのメンバーたちで納得いくまで議論を重ねて決めたワードが使われていますね。
谷沢
三菱地所はこのプロジェクトを通じてどんなことを成し遂げるべきなのか、現在もそうですが、このテーマを巡ってみんなでずっと議論していますよね。その想いを非常にわかりやすく伝えているのが「日本を明るく、元気にする」という言葉なのだと思います。
谷沢
現在、『TOKYO TORCH』プロジェクトを専任で担当する社員は十数名。大きく2つのユニットに分かれています。『常盤橋タワー』を担当するユニットのリーダーが私で、そのメンバーの1人が牛尾さん。
和田
もう1つが『Torch Tower』を主に担当するユニットで、私はこちらのユニットのメンバーです。谷沢さんもメンバーの1人という形でこのユニットにも携わっていただいていますね。
ところで牛尾さん、竣工した『常盤橋タワー』のなかでぜひ注目してほしいというところを3つあげるとするなら、どこになりますか?
牛尾
3つですか? うーん、たくさんありすぎて選ぶのは難しい(笑)。まず1つは、就業者の共用サービススペースである3階のカフェテリアラウンジ『MY Shokudo』ですね。私が担当した当時は大まかなフロア面積、ゾーニング、そして一緒につくり上げていく協業先の会社が決まっていました。それから約3年かけていろんな資料を見て前任者の想いも想像しながらプロジェクトのメンバー、設計会社や運営会社と議論を重ねてプラニングを進めてきました。『MY Shokudo』は、全体のゾーニングや導線、什器や食器、メニュー、飾っているアート作品に至るまですべてに思い入れがあります。
2つめは、『常盤橋タワー』の随所に展示しているアートです。これほど多彩なアート作品をオフィスビルのなかに展開するのは三菱地所としても初めての試みです。
和田
『MY Shokudo』は、私もよく利用します。常盤橋タワーで働く人たちが楽しそうに食事や会話をしている姿が印象的です。この『MY Shokudo』などの企画をどのように進化させて次の『Torch Tower』に取り込んでいくか。これから私も頭を悩ますことになりそうです。3つめはどこですか?
牛尾
このゾーンはまだ最終形ではないのですが、約7,000㎡の広場『TOKYO TORCH Park』です。広場のプランニングでは、メンバーと「この広場で開催したいイベント10選」「この広場で見たい風景10選」みたいにアイデアを出し合って、そのやりたいイベント、見たい風景を起点にしてゾーニングやハードの設備を決めていきました。
谷沢
広場の企画では、地方自治体との協業も大きなテーマでしたよね。例えば広場にある「錦鯉が泳ぐ池」は、新潟県小千谷市との協業から誕生したものです。
『TOKYO TORCH』のプロジェクトでは、これまで様々なプランが議論されてきました。しかし、一番たいへんで勇気がいるのは、プランを具現化する施設や機能を実際に決め込んでいく作業。現場でその決断を下す困難な仕事を担っているのが、牛尾さんや和田さんをはじめ若手のメンバーたちですね。
牛尾
設計会社や建設会社の人たちからは「いつ決まるのか?」と毎日のように聞かれました……。実際とてもたいへんでしたが、でも、振り返ると恵まれた環境で仕事ができたと感じています。施設が完成して初めて披露した日、設計会社や建設会社の方たち誰もがすごく嬉しそうで、みんな同じ気持ちで頑張ってきたのだなと思いました。
和田
『常盤橋タワー』の建設の最中に、コロナ禍という緊急事態が起こりました。プロジェクトに影響はありましたか?
牛尾
建築工程への影響はありました。現場の職人さんの労務環境の確保や物流が分断されて資材が外国から届きにくくなるといった事象です。ただ、施設や機能という面では意外にも変更は少なかったように思います。谷沢さんはどう感じていますか?
谷沢
そのとおりですね。いま思うと、私たちはコロナ禍という変化もある程度見越してプロジェクトを議論してきたのではないかと感じるのです。
というのも、次の『Torch Tower』が竣工してこのプロジェクトが完了するのは2027年度の予定です。私たちはプロジェクトが動き始めた時から、2027年度というおよそ10年後の街やオフィスのあるべき姿をずっと議論してきたわけです。その頃には日本社会の人口減少はさらに進み、テレワークの拡大など働き方も多様化してくるはず。そんな時代に、人々が街やオフィスに集いたくなるためにはどんなビルをつくるべきなのか?手探りでありながらもみんなで思い描いてきた近未来の姿が、図らずもポストコロナ社会と重なり合ったわけです。
牛尾
『常盤橋タワー』のオフィスサポートフロアや『MY Shokudo』などの企画はまさにそういう発想から生まれてきたものですよね。『MY Shokudo』にはキッチン付きのホールスペースがあって、料理をしながらチームビルディングを図れるプログラムも用意しています。この場を利用して社員の皆さんが集い、新しい企業の文化やコミュニケーションを築いていってほしいと考えているのです。
和田
その意味では、新しく採用したシステムやアプリなどもポストコロナと親和性が高いように思います。
牛尾
ええ。ビルのセキュリティでは非接触で出入管理できるシステムを導入していますし、『MY Shokudo』では事前に注文して待ち時間少なく食事ができるアプリもつくりました。働く人たちの便利のために一生懸命考えてきた仕組みがポストコロナとも相性がよくて驚いています。
牛尾
『常盤橋タワー』も竣工して、『TOKYO TORCH』はいよいよ最終ステージとなる『Torch Tower』へと移ります。和田さんたちにバトンが託されるわけですね。現在はどのようなステップなのでしょうか?
和田
『Torch Tower』はまだ構想中の段階です。着工は2023年で、竣工は2027年度の予定。高さ約390m、地上63階建、延床面積約544,000㎡です。浦安にある某テーマパークが約510,000㎡なので、壮大なスケールですよね。低層階が商業施設、その上にオフィスやホテル、最上階には展望台をつくります。エンターテインメントの要素も取り入れるべく、大規模ホールも企画しています。
谷沢
地下1階から6階までの商業ゾーンは店舗面積約8,000坪。この商業施設だけでも都心最大級のスケールです。ここに機能や店舗を集積していくというプランニングだけでも大仕事ですよね。
和田
それでも「日本を明るく、元気にする」という発想が根底にあることは『Torch Tower』でも変わりありません。この街区だけで閉じたような空間ではなく、八重洲や日本橋などの近隣エリア、東京全体、そして全国へと、相乗して価値を生み出していけるような存在にしていきたいと思っています。
牛尾
『Torch Tower』を訪れた外国人が、そこでの体験や情報をきっかけに地方の街に旅をし、また『Torch Tower』に戻ってくる。そんな仕掛けができたら楽しそうですね。
和田
牛尾さんが『常盤橋タワー』で体験してきた決断の困難さを、私もこれから味わうことになりそうです(笑)。でも、これも牛尾さんが言ってとおり、プロジェクトのメンバーやグループ会社、協力会社の人たちと想いを一つにして進んでいく仕事はものすごく魅力的なはず。いまから楽しみにしています。できれば、2027年度の竣工日も立ち合ってみたいですね。
牛尾
和田さん、きっと大泣きですよ(笑)。
和田
そうかな。10年先、100年先に向けて新しい街が動き出す瞬間なので、できれば粛々と迎えたいと思いますが。泣くなら、その夜一人でひっそり泣きたい(笑)。
谷沢
牛尾さんは、この『TOKYO TORCH』の経験を生かして、これから三菱地所でどんな仕事に取り組んでいきたいと考えていますか?
牛尾
そうですね。私はもともと「地方と都心をつなぐまちづくり」をしたくて三菱地所に入社したのですが、入社早々に『TOKYO TORCH』に携わり、その想いがいっそう強くなりました。この先、どんなキャリアを歩もうと、この気持ちだけは大切にしていきたいと思っています。
谷沢
私自身、『TOKYO TORCH』では言い表せないくらい数々の貴重な経験を得ています。最後に、そのなかから一つ楽しい話をしましょうか。最近、都内の中学校や高校生向けに、出張授業でまちづくりの話をしたり、生徒たちをこの街区に招いて色々な体験をしてもらうプログラムを行っています。このような交流を通じて、私たちは「日本を明るく、元気にする」ための大切なヒントをもらっています。また、生徒たちからも多くの質問やアイデアが出てきて、若い彼らにとっても「日本の未来を考えてこう」というきっかけになりつつあるように思います。私は、『TOKYO TORCH』を通じて、これから自分が三菱地所でやるべきことが明確に見えてきたように感じています。
※所属、掲載内容は取材当時のものです